密教的曼荼羅世界
聾瞽指帰(ろうこしいき) 弘法大師筆 2巻
這本雜誌是前幾天在便利商店買的,日本的國寶幾乎都跟佛教有關!
就在下個月:
2014年10月11日(土)から12月7日(日)まで、「高野山開創1200年記念 高野山の名宝」展を開催します。
サントリー美術館
(東京・六本木/館長 鳥井信吾)は、2014年10月11日(土)から12月7日(日)まで、「高野山開創1200年記念 高野山の名宝」展を開催します。
唐で密教を学んだ弘法大師空海は、密教修行の根本道場とすべく、弘仁7年(816)勅許(ちょっきょ)を得て高野山を開きました。以来今日まで、高野山は日本仏教の聖地の一つとして、さらには空海を慕う人々の憧れの地として、時代と宗派を超えた信仰を集めてきました。それを証明するように、山上には「山の正倉院」とも例えられるほどの文化財の宝庫が形成され、なかでも核となる仏教芸術はわが国最大規模を誇ります。
本展は、高野山が平成27年(2015)に開創1200年の節目を迎えることを記念して、高野山に伝わる至宝の数々を公開するものです。開創にかかわる空海ゆかりの宝物から、豊麗な密教美術の原点ともいえる請来(しょうらい)の品、真言密教の教理に基づく仏像、仏画など、普段は山上にあって重厚な信仰の歴史を物語るこれらを一堂に展示します。特に、鎌倉時代、仏教彫刻界に新風を吹き込んだ仏師・運慶による国宝《八大童子像(はちだいどうじぞう)》を全躯そろって存分に鑑賞できる貴重な機会となります。
空海の精神と壮大な歴史に育まれた日本文化の精髄をご堪能ください。
http://www.suntory.co.jp/news/2014/sma0005.html
空海が高野山を開いてから、平成27年(2015)で1200年を迎えます。延暦16年(797)24歳のとき『聾瞽指帰(ろうこしいき)』を著して、仏道修行に身を投じた空海は、唐に留学して当時最新の体系的な密教を学びました。帰国後、平安京に程近い高雄山寺(現在の神護寺)などを拠点にして都に密教を広め、嵯峨天皇からも厚い信頼を得ていました。その一方で、密教修行の理想の場所として世俗を離れた深山清涼の地である高野山を探し求め、朝廷に願い出て真言密教の根本道場とします。この地を中心に密教の普及と確立につとめ、真言密教の基盤を作った後、承和2年(835)、高野山の地に入定(にゅうじょう)しました。
第1章では、国宝《諸尊仏龕(しょそんぶつがん)》をはじめ高野山に伝わる空海の遺品や高野山開創に関わる宝物を紹介します。
唐で密教を学んだ弘法大師空海は、密教修行の根本道場とすべく、弘仁7年(816)勅許(ちょっきょ)を得て高野山を開きました。以来今日まで、高野山は日本仏教の聖地の一つとして、さらには空海を慕う人々の憧れの地として、時代と宗派を超えた信仰を集めてきました。それを証明するように、山上には「山の正倉院」とも例えられるほどの文化財の宝庫が形成され、なかでも核となる仏教芸術はわが国最大規模を誇ります。
本展は、高野山が平成27年(2015)に開創1200年の節目を迎えることを記念して、高野山に伝わる至宝の数々を公開するものです。開創にかかわる空海ゆかりの宝物から、豊麗な密教美術の原点ともいえる請来(しょうらい)の品、真言密教の教理に基づく仏像、仏画など、普段は山上にあって重厚な信仰の歴史を物語るこれらを一堂に展示します。特に、鎌倉時代、仏教彫刻界に新風を吹き込んだ仏師・運慶による国宝《八大童子像(はちだいどうじぞう)》を全躯そろって存分に鑑賞できる貴重な機会となります。
空海の精神と壮大な歴史に育まれた日本文化の精髄をご堪能ください。
http://www.suntory.co.jp/news/2014/sma0005.html
空海が高野山を開いてから、平成27年(2015)で1200年を迎えます。延暦16年(797)24歳のとき『聾瞽指帰(ろうこしいき)』を著して、仏道修行に身を投じた空海は、唐に留学して当時最新の体系的な密教を学びました。帰国後、平安京に程近い高雄山寺(現在の神護寺)などを拠点にして都に密教を広め、嵯峨天皇からも厚い信頼を得ていました。その一方で、密教修行の理想の場所として世俗を離れた深山清涼の地である高野山を探し求め、朝廷に願い出て真言密教の根本道場とします。この地を中心に密教の普及と確立につとめ、真言密教の基盤を作った後、承和2年(835)、高野山の地に入定(にゅうじょう)しました。
第1章では、国宝《諸尊仏龕(しょそんぶつがん)》をはじめ高野山に伝わる空海の遺品や高野山開創に関わる宝物を紹介します。
延暦十六年(797年)二十四歲
十二月一日著寫「聾瞽指帰(ろうこしいき)」一巻,評論儒教、道教和佛教之優劣。此文即是後來的「三教指歸」一文。
延暦二十三年(804年)三十一歲
延暦二十三年(804年)三十一歲
*四月七日於東大寺出家得度。法號改為空海。
*五月十二日隨遣唐大使藤原葛野麻呂(ふじわらのかどのまろ)由難波同船出發。
*十二月二十三日抵達長安。
延暦二十四年(805年)三十二歲
*五月十二日隨遣唐大使藤原葛野麻呂(ふじわらのかどのまろ)由難波同船出發。
*十二月二十三日抵達長安。
延暦二十四年(805年)三十二歲
*二月十一日至西明寺。
*六月~八月間於青龍寺東塔院之灌頂道場接受恵和和尚的胎蔵・金剛界兩部灌頂,得傳法阿闍梨位,金剛密號為『遍照金剛(へんじょうこんごう)』。
*十二月十五日,恵果和尚入寂,年六十。
延暦二十五年(806年)大同元年[五月改元] 三十三歲
*六月~八月間於青龍寺東塔院之灌頂道場接受恵和和尚的胎蔵・金剛界兩部灌頂,得傳法阿闍梨位,金剛密號為『遍照金剛(へんじょうこんごう)』。
*十二月十五日,恵果和尚入寂,年六十。
延暦二十五年(806年)大同元年[五月改元] 三十三歲
*八月由明州出發歸國。
*抵國後,十月二十二日託請高階遠成(たかしなのとおなり)將留學歸來之報告「御請来目録(ごしょうらいもくろく)」呈現給朝廷。
*抵國後,十月二十二日託請高階遠成(たかしなのとおなり)將留學歸來之報告「御請来目録(ごしょうらいもくろく)」呈現給朝廷。
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